世界3大美女 その1 「クレオパトラ」

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世界3大美女「クレオパトラ」による

    お言葉です

 

国を支配しているのは男。

その男たちを支配しているのは私。

It’s a man that a country is

being ruled. It’s I that the men are

being ruled.

 

悲しさは世界共通。

笑いは文化によって異なる。

The sadness is worldwide.

The laugh is different

depending on culture.

 

お金では幸せは買えない。

だが、お金は、あなたが不幸である間、

何不自由ない生活をさせてくれる。

It can’t be bought happily in money.

But while you’re unfortunate,

money makes them live comfortably.

 

世間一般に美女というと「クレオパトラ

クレオパトラ7世のことである

 

クレオパトラの父は

プトレマイオス12世(アウレテス)

 

母はクレオパトラ5世

 

兄弟はベレニケ4世(姉)

アルシノエ4世(妹)

プトレマイオス13世(弟)

プトレマイオス14世(弟)

 

クレオパトラ」の名はギリシア語

「父親の栄光」を意味する

 

「絶世の美女」として知られ

人をそらさない魅力的な話術と

小鳥のような美しい声であった

 

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クレオパトラの肖像は治世当時

アントニウスが発行したとされている硬貨に

横顔が残されているのみであり

この評価は後世の作り話だとの説がある

 

しかし、妹のアルシノエ4世の復元図から

姉のクレオパトラも美しかったとする説もある

クレオパトラは後世ダンテの抒情詩『新曲』では

愛欲の罪により地獄で苦しむ設定となっている

    

  混乱と骨肉の争い

プトレマイオス朝廷では

権力を巡る骨肉の争いが常態化していた

 

紀元前55年、クレオパトラが14歳

父と姉ベレニケ4世は王位を巡って争い

父がローマの支援を得て勝利して

ベレニケ4世を処刑した

  父親が子を処刑?・・・・

このようにエジプト国内は

不安定な状況下に置かれていた

紀元前51年、クレオパトラが18歳の時

父が死亡したが父の遺言と

プトレマイオス朝の慣例にのっとり

兄弟で最も年長のクレオパトラ

弟のプトレマイオス13世兄弟婚を行い

共同で王位に就いた

   弟と結婚?・・・

クレオパトラ7世は強大なローマとの

同盟が唯一エジプトの存続の道であると

考えたが弟との共同統治は弟の側近の

介入により齟齬をきたした

 

紀元前49年

ガイウス・ユリウス・カエサル派と

グナエウス・ポンペイウス

元老院派との間で内戦が勃発した

 

クレオパトラ7世は父王時代からの

繋がりで元老院派を支援した

 

ポンペイウスの子小ポンペイウス

アレクサンドリアを訪れてクレオパトラ7世に

兵員と食料の協力を要請した時

女王は小ポンペイウスに対し

予想を上回る兵員及び食料を提供した

 下心があったのかしら?

   ひとめぼれ?

この際に小ポンペイウスの愛人となった

紀元前48年

ローマからの独立を標榜する

プトレマイオス13世派は

このクレオパトラ7世の動きに不信を募らせ

アレクサンドリア住民が親ローマ主義の

クレオパトラ7世に対して起した反乱に乗じ

クーデターを決行しクレオパトラ7世を

東部国境のルシオンへと追いやった

ポンペイウスはフェルサルスの戦いで

カエサルに敗北した後にエジプトに上陸したが

9月29日

プトレマイオス13世派 に殺害された

 

クレオパトラカエサルとの出会い

 

ナイルの戦い (紀元前47年)

絨毯の中からカエサルの前へ現れる

クレオパトラ 1886年ジャン=レオン・ジェローム

,紀元前48年9月

ポンペイウス追討のために

エジプト入りしたカエサルは和解を図ろうとして

両共同統治者をアレクサンドリアに招集した

当時、クレオパトラ7世はペルシウムで

プトレマイオス13世派と戦闘しており

アレクサンドリアへ出頭するのは容易でなかった

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プルタルコス によると

女王は自らを寝具袋にくるませ

カエサルのもとへ贈り物として届けさせ

王宮へ入ることに成功したといわれている

寝具ではなく絨毯に包んで届けさせたと

説明されることが多い

サプラァズ!!誰もも気づかれずに

古代エジプトでは、贈り物や賄賂として

宝物を絨毯に包んで渡す習慣があり

クレオパトラは宝物ではなく自らの身体を

贈ったのだとする)

   史料では確認できない

この時クレオパトラ7世はカエサルを魅了し

彼の愛人となった

  これで3人目?

 

これを知ったプトレマイオス13世は

「怒り心頭に発し王冠をはずし、

    地面に叩きつけた」といわれる

  男は お〇〇 ね~

一応、カエサルは両共同統治者を

和解させるのに成功したとはいえ

この和解は15日間しか続かなかった

ディオ・カッシウスによると

プトレマイオス13世側が

カエサル軍を攻撃したので

カエサルはその時ちょうどエジプトへ

到来したローマ軍を使って

紀元前47年

ナイル川の戦い」で

プトレマイオス13世派を

制圧しナイル川で溺死させた

プトレマイオス13世と結託して

クレオパトラ7世と敵対していた

妹アルシノエ4世は捕らえられて

ローマへ送られ、紀元前46年

ローマで催されたカエサル凱旋式

引き回された

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プトレマイオス13世敗死後

クレオパトラ7世はもう一人の弟

プトレマイオス14世と

結婚し共同統治を再開した

   また、弟とです!!

女王は紀元前47年にカエサルの子

カエサリオンを生んだといわれる

カエサル父親説については異論もある)

 

プトレマイオス14世との共同統治は

カエサルの後ろ盾を得て成立しており

実際にはクレオパトラ7世が単独で統治していた

カエサルの傀儡政権であったともいえる

 

紀元前46年

カエサルが10年間の独裁官に任命され

凱旋式を挙行した頃

クレオパトラ7世はカエサリオンを連れて

ローマを訪れた

(アルシノエ4世が市中を

  引き回されるのを見たかもしれない)

 

クレオパトラ7世は、

カエサルの庇護のもと目立たぬ形で

ローマに滞在していた

 

紀元前44年

カエサルが暗殺される

 

カエサリオンを連れ急遽エジプトに帰った

 

カエサル死後

クレオパトラ7世は

嫡子のいないカエサルの後継者に

カエサリオンを望んでいたと思われるが

カエサル庶子に当たるカエサリオンを

後継者に指名してはいなかった

  子まで産だにもかかわらず

   信頼されていなかったのかしら?

 

紀元前46年

既にカエサルは実の大甥

カエサルの妹の孫で姪の子)で

養子のガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス

を後継 者と定め、遺言書を遺していた

 

クレオパトラ7世がエジプトに帰国した頃

名目上の共同統治者であった

プトレマイオス14世が死亡すると

(死因不明、クレオパトラによる毒殺説もある)

クレオパトラ7世は幼いカエサリオンを

共同統治者に指名した(プトレマイオス15世)

紀元前42年

フィリッピの戦いでは第二回三頭政治側では無く

ローマ東方地区へ勢力を広げていた

マルクス・ニウス・ブルゥスらの勢力を支援した

戦いはブルトゥスらが敗北

三頭政治側のマルクス・アントニウス

クレオパトラ7世に出頭を命じた

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これに対して、クレオパトラ7世は

 アフロディーテのように着飾り

香を焚いてムードをつくってタルソスへ出頭した

逆にアントニウスを自らの宴席へ招待するなどし

瞬く間にアントニウスを魅惑したといわれる

   出ましたよ!!魅惑の作戦!!

アントニウスはエジプトに近いシリアなどの

東方地域では勢力を維持しており

クレオパトラ7世と良い関係を作ることは

アントニウスにとって好都合であったことは事実である

 

一方、アルシノエ4世は小アジアの

エフィソスにあるアルテミス神殿に

聖域逃避していたがクレオパトラ7世は

アントニウスに頼んで殺害させた

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アルシノエ4世の墓はエフェソスに築かれたが

1927年にドイツ人考古学者らに荒らされ

頭蓋骨はドイツに持ち去られた戦後、

所在不明であり数点の写真が残っているのみである

その後、2人の間に間には

双子の男女の アレクサンドロスヘリオス

クレオパトラ・セレネ

紀元前36年にはもう一人男児

プトレマイオス・ピラデルポスが誕生した

アントニウスクレオパトラ7世の

支援を得てパルティア遠征を行ったが惨敗を喫した

その後でオクタウィアヌスの姉オクタウィアと離婚した

 

  クレオパトラ7世とアントニウス

  結婚したのかもしれない!!!

 

紀元前34年

アントニウス 再度東方遠征を行い

アルメニア王国(アルタクシアス朝)を攻撃して

国王をアルタウァスデス2世捕虜とした

 

アレクサンドリアに戻ったアントニウス

ローマではないこの地で大々的に凱旋式を挙行した

そのうえ、アントニウスはエジプトでの

埋葬を希望し

アントニウスが書いたとされる遺言状を

オクタウィアヌス元老院で読みあげたもので

真偽は定かではない)

ローマを見捨てたかのように振舞う

アントニウスローマ市民は失望し

オクタウィアヌスを強く支持するようになった

最終的にオクタウィアヌスアントニウス

宣戦布告した時、この戦いは私闘ではなく

「ローマ対エジプト」という構図にされていた

 

アクティウムの海戦・最期 

クレオパトラの死(瀕死のクレオパトラ

 

 紀元前31年

アクティウムの海戦

アントニウス派・プトレマイオス朝の連合軍と

オクタウィアヌスが率いるローマ軍が

ギリシア西岸のアクティウムで激突する

 

この海戦の最中にクレオパトラ7世は

戦場を離脱しアントニウス

クレオパトラ7世の船を追って逃亡

ともにアレクサンドリアへ戻った

  逃避行??

アントニウス派・プトレマイオス朝の連合軍は

追跡してきたオクタウィアヌス軍に敗北を喫する

アントニウスは部下を置き去りにし

女を追って戦場を後にしたと

嘲笑されることになった

 

帰国したクレオパトラ7世は

オクタウィアヌスとの外交交渉を試みるものの

条件面などで折り合いがつかず失敗に終わった

そして、カエサリオンを国外へ

逃がすことを決意し実行に移した

しかし

ローマ軍はアレクサンドリアにまで到達し

アントニウスは残存する全軍を率いて決戦を挑むが

海軍の寝返りなどで失敗した

 

アントニウスクレオパトラ7世が

自分を裏切ったと思い込んでいたところに

届けられたクレオパトラ7世死去の報告

(これは誤報に接して自殺を図る

それを知ったクレオパトラ7世の指示により

アントニウス瀕死の状態でクレオパトラ7世の

ところにつれてこられたが、息を引き取った。

  ロミオとジュリエットのよう!

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オクタウィアヌスは捕虜となった

 

クレオパトラ7世が自殺することを警戒し

厳重な監視下に置いていたが

クレオパトラ7世自身は

オクタウィアヌスに屈することを拒んで自殺した

 

贈答品のイチジクに忍ばせていたコブラ

身体(乳房)を噛ませて自殺した

      と伝えられている 

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オクタウィアヌスは彼女の

アントニウスと共に葬られたい」

との遺言を聞き入れた

  クレオパトラを愛していたのでしょうか?

 

エジプトを征服したオクタウィアヌス

 紀元前30年

カエサルの後継者」となる可能性があった

カエサリオンを呼び戻して殺害し

プトレマイオス朝を滅ぼした

そして、エジプトをローマに編入して

皇帝直轄地アエギュプトゥスとした

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クレオパトラアントニウス

もうけていた3人の子供たちは

オクタウィアヌスの姉にして

アントニウスの前妻である

オクタウィアに預けられ養育された

 

国を支配しているのは男。

その男たちを支配しているのは私。

 

悲しさは世界共通。

笑いは文化によって異なる。

 

お金では幸せは買えない。

だが、お金は、あなたが不幸である間、

何不自由ない生活をさせてくれる。

 

今の時代も、クレオパトラの生きた時代と

何ら変わりも無いような気がする・・・

 

 

 

 

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