クウォーツ(水晶)

神秘の魂への あ・れ・こ・れ

『グリム童話』を学びました

グリム童話

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ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が

編纂したドイツのメルヘン集である

 

正式なタイトルは

『子供たちと家庭の童話』

(独: Kinder- und Hausmärchen

1812年に初版第1

1815年に第2

 

著者の生前から数度改訂され版を重ねた

160以上の言語に翻訳されており

聖書に並ぶといわれるほど広く読まれた

多くの芸術家に霊感を与えている

また民話収集のモデルとして

他国の民話研究にも大きな影響を与えた

 

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初版第一巻の書影

アルニムから自分たちの童話集出版を

後押しされたグリム兄弟は

アルニムの仲介でベルリンの

出版者ゲオルク・ライマーを版元に決め

1812年のクリスマス

『子どもと家庭の童話』初版第1巻を刊行した

この巻には86篇の※メルヒェン※が収められ

※伝説、寓話(ぐうわ)、笑話、聖者伝など

         口伝えの短い話※

それぞれに学問的注釈をつけた付録が施されていた

この子供向けの本と学問的資料との間の

どっちつかずの体裁は

収録メルヒェンの内容・文体と

合わせて批判を呼んだ

1巻の売れ行きは好調とはいえなかった 

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1815

刊行された第2巻はさらに売れ行きが悪く

 

3巻は実現しなかった

 

1819年に刊行された第2版では

弟ルートヴィヒ・グリムによる

2枚の銅版画が口絵に入り

また注釈も別冊として分離されより

親しみやすいつくりに変えられている

 

グリム童話』は長い間

グリム兄弟がドイツ中を歩き回って

古くから語り継がれてきた物語を

ドイツ生粋の素朴な民衆たちから直接聞き集め

それを口伝えのかたちのまま収録して

出版されたものだと一般には考えられてきた

 

このように考えられてきたのは、

一つにはグリム兄弟自身が童話集の序文で

そのように宣言していた

現実には「口伝えのかたちのまま」ではなく

兄弟の手によって少なからず手が加えられて

 

取材源

グリム童話』にはラテン語の書物などを

含む文献から取られた話が一定数含まれており

(初版では全体の四分の一程度

7版では五分の一程度の話が文献から取られている)

すべてが口伝えの聞き取りによっているわけではない

 

ほかの口伝えの情報源に関してもドイツの

中世文学者ハインツ・レレケによると

比較的近年の研究によって、

「ドイツ生粋の素朴な民衆から聞き取った」という

通説が事実とは大きく異なっていたことが

明らかになっている

 

実際には兄弟の聞き取りの取材源の

ほとんどが中・上流階級の家庭であり

その中にはフランスなどをルーツとする

人物が少なからず含まれていたのである

 

グリム兄弟自身は

生前メルヒェンの取材源を公にしなかった

唯一の例外がカッセル地方の仕立て屋の妻

「フィーマンおばさん」ドロテーア・フィーマン

(ドイツ語版、英語版)であり

グリム兄弟は第2版の序文で

多数のメルヒェンを提供した彼女の貢献を称え

弟のルートヴィヒ・グリムが書いた

彼女の肖像を掲載したため

彼女は昔話の理想的な語り手として

読者から親しまれきた

 

しかしこの人物は

実際には旧姓をピアソンという

フランスから逃れてきたユグノーの家庭の出で

普段はフランス語を話し

『ペロー童話集』などもよく知っている

教養ある婦人であったことが

レレケの研究によって明らかになっている

 

グリム兄弟の没後

ヴィルヘルムの息子のヘルマン・グリムは

兄弟による取材源のメモを公表した

この際にヘルマンは、メモのなかにある

「マリー」という女性について、自分の母

(ドルトヒェン・ヴィルト)の実家に

住んでいた戦争未亡人のおばあさんで

昔話をよく知っていたと証言している

そのためにこの「マリーおばさん」は

先述の「フィーマンおばさん」と並び

グリム童話』に貢献した昔話の語り手と

信じられるようになった 

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1975年に発表されたレレケによる研究で

このマリーとは実際には戦争未亡人の

老婆「マリーおばさん」などではなく

ヘッセンの高官の家庭である

ハッセンプフルーク家の令嬢マリー(de

のことであり、その母親はフランス出身の

ユグノーであったことが明らかにされた

 

レレケはグリムへ童話を提供した人物の

詳細な調査を行った

特に初期の重要なメルヒェン提供者の多くが

身分ある家庭の夫人や令嬢であったことを

突き止めている

 

総じてグリム兄弟は(一般に信じられていたように)

農村を歩き回って民衆から話を聞き取ったりはせず

中流以上の裕福で教養ある若い女性に

自分のところまで来てもらって

話の提供を受けていたのである

 

ただしレレケは

メルヒェンの提供者が

教養ある人物であったことは

必ずしもそれらが上流階級の間でのみ

語られていたことを意味しないということに

注意を促してもいる

読み書きができ、話もうまい

これら上流階級の女性は下層階級

(下僕や女中など)から聞いた話を

仲介する役割も担っており

下層階級の人々にとっても

そのような仲介は必要なことであった

 

 

グリム童話』の成立した背景

フランス革命それに続く

ナポレオン・ボナパルトによる

ドイツ占領によって

ドイツにナショナリズム高揚の動きが

広まっていたことがある

 

それまで芸術家主義的に展開していた

ドイツ・ロマン主義運動は一転して

土着の民衆文化に目を向けるようになり

その一環として民謡やメルヒェンの

発掘収集を進めるようになった

こうした収集の先駆的業績としては

ロマン主義以前

シュトルム・ウント・ドランク運動の

提唱者であった

・ヘルダーによる

『民謡集』(1778年–79年)

 

・ムゼーウスの

『ドイツ人の民間童話』(1782年)

 

・ナウベルトの

『ドイツ人の新しい民間童話』(1788年)

 

・ビュッシングの『民間伝説、メルヘン、聖者伝』

1812年)

など数種類の民話集が刊行されている

1808年にはグリム兄弟と同姓の

(まったく血縁関係のない)

A.L.グリムによる『子どもの童話』も出ているが

グリム童話』が出た当時は

こちらのグリムによる本もよく売れていたために

兄弟の生前はしばしば両者が混同された

 

1806年ロマン派の詩人

ブレンターノとアルニムによる

民謡集『少年の魔法の角笛』が刊行された

この民謡集には恩師であるサヴィニーの

仲介によってヤーコプ・グリムも

収集の協力をしており、その後この民謡集の

続編となるメルヒェン集が計画されると

ブレンターノ達はグリム兄弟にも

メルヒェン収集の協力を依頼した

このとき兄弟はブレンターノから

画家のフィリップ・オットー・ルンゲ

方言で書き留めた二つのメルヒェン

「猟師とおかみ」と「ねずの木の話」を

渡された

兄弟のメルヒェン収集・編纂は

この二つのメルヒェンと

『少年の魔法の角笛』

におけるブレンターノの再話法とによって

方向付けられることになった

兄弟は口伝えと文献のふたつの方向から

メルヒェン収集を進め、初期の成果である

49篇をブレンターノに送った

しかしブレンターノから音沙汰がなくなった

 

そのため、自分たちの童話集をつくることに決め

あらかじめ取っておいた写しをもとに

グリム童話』の編纂を進めていった

その後ブレンターノのほうの企画は立ち消なった

ブレンターノはグリムから送られた原稿も

返却しないまま紛失してしまったが

この初期の原稿は19世紀末になって

アルザスのエーレンベルク修道院で発見されており

(エーレンベルク稿)

今日グリムによって加筆修正され

刊本と原型との比較研究のための

基本資料となっている

 

 

1820デンマークとオランダで

グリム童話』抜粋の翻訳が出て

1825ジョージ・テイラーによる

英訳版のグリム童話選集

『ドイツの民衆メルヒェン集』

当時の人気画家

ジョージ・クルックシャンクの挿絵を

つけて刊行され大きな反響を呼んだ

同年、兄弟はこのイギリス版を手本として

グリム童話』の選集版『グリム童話名作選』

(「小さい版」)を作り刊行した

これには『子供と家庭の童話』150篇あまりから

子供にふさわしい、特に重要なメルヒェンを

50選んで収録しており、ルートヴィヒによる

7枚の銅版画も挿絵として付けられている

この廉価な普及版はもとの二巻本よりも

はるかに売れ行きがよく

(グリムの生前1858年までの間に9版まで出ている)

グリム童話の普及に大きな意味を持った

 

グリム童話』がはっきりした成功を収めたのは

1837

出版社をゲッティンゲンのディーテリヒス社に

変えて出された第3版からである

その後『グリム童話』はいくつかの話を

加えたり入れ替えたりしつつ

兄弟の生前に7版まで改訂された

収録話数の変遷は以下のようになる

グリム童話』とそれまでのメルヒェン集との

大きな違いは、後者がそれぞれの物語を

大きく脚色して長い作品に仕立てていたのに対し

グリムのそれでは一つ一つが短く

比較的口承のままのかたちを保っていたこと

しかしそのために批判を受け、

・文章が粗野である

・話の内容・表現が子ども向きでない

・あまりに飾り気がない

以降の版ではこれらの点について

改善が図られるようになった

具体的には

・風景描写や心理描写

・会話文を増やした

・過度に残酷な描写や性的な部分が削除

・収録作品は削除

このような過程を経て『グリム童話』は

口承文芸の収集から兄弟の創作童話へと

近づいていくことになった

なお兄弟のうち初期の収集にあたっては

主にヤーコプが仕事の中心を担っていたのだが

後の版のこのような改筆に当たったのは

主にヴィルヘルムでありルヒェン集に

学問的性格をもとめていたヤーコプのほうは

次第にこの仕事から手を引くようになった

 

ヴィルヘルムは加筆修正の際に

・自身の物語観や当時の道徳観に合わせて修正

・妊娠などの性的な事柄をほのめかす記述を排除

・近親相姦に関わる記述も削除・修正

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ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」など

子を虐待する実母が出てくる話が

子供への配慮から後の版で継母に変えられた

しかしこれらの書き換えに比べると

ィルヘルムは刑罰の場面などの

残虐な描写については意外なほど寛容で

話によっては後の版のほうが却って

残虐性が増しているようなものもある

このために『グリム童話』は子供への

読み聞かせに適しているか

あるいはそのままの形で読み聞かせて

よいのかどうかといった点が

初版刊行時以来しばしば議論の的となっている

 

グリムが貞淑で忍耐強い女性という価値観に従い

・物語内の少女から積極性・能動性を奪った

・人種差別的な偏見が見られることなどが指摘

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作品は

・かえるの王さま

・狼と七匹の子山羊

ラプンツェル

ヘンゼルとグレーテル

・漁師とおかみ

・灰かぶり:「シンデレラ」

・ホレおばさん

赤ずきん

ブレーメンの音楽隊

・ねずの木の話

・いばら姫:

「眠り姫」「眠りの森の美女」

・つぐみの髭の王さま

・白雪姫

・ルンペルシュティルツヒェン

・千匹皮

・がちょう番の女

・星の銀貨

 

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200年以上も昔から作られた童話

作者やそれを支持するも人たちの

試行錯誤が今に伝わっています

私も沢山の童話を読み聞かされました

子守唄の次は童話の絵本

「おやすみなさい」の前の

母と子の父と子の

コミュニケーション

今は、

TV・DVDなどでアニメに

形は違ってきていますが

今は亡き兄弟の思いは語り継がれて

こころが温まる物語・・・

今日は夢でお姫様になれるかも・・・